戦前の光珍寺本堂(『光珍寺宝物絵葉書』)

 元は広大な建築であったが、3度の寺地の移動で寺域が縮小されたため、堂も縮小された。不便であったため、元禄年間に客殿を新築、本尊の阿弥陀如来を移し、愛染明王を本堂に据え本尊とした。享和2年の岡山寺の火災に類焼したが、文政年間に梁行5間、桁行6間の規模で再建。明治32年に再び阿弥陀如来を本尊に戻し、愛染明王と共に本堂に安置した。重層宝形造の建築であったが、昭和20年6月の戦災で焼失。  長く仮堂のままであったが、昭和55年に鉄筋コンクリート3階建て様式寺院を建立、1階を寺務所・駐車場、2階を客殿、3階を本堂に宛て現在に至っている。
〔とじる〕